妻という生き物、母という生き物
「あたしのもっとも神聖な義務って何、あなたの意見では?」(坂口訳,1991 P121)
ヘンリック・イプセンの『人形の家』を読了したので、これは記念の軽い感想文です。
この本を手にとったきっかけは、ネットで「フェミニズム おすすめ 本」と検索して出たサイトで薦められていたからだ。
これは1879年に書かれた戯曲で、著者イプセンはノルウェー人。初演はデンマークで行われた。
北欧、といえば、寒い、豊かな自然、可愛い家具を思い浮かべる人が多いだろう。
そしてノルウェーといえば、クオータ制の発祥地。北欧は男女平等の進んだ国々である、という印象も受ける。
とはいえ、これが書かれたのは1879年。日本なら明治時代。森鴎外の『舞姫』が1890年だ。昔も昔、大昔であると言える。
その頃はどこも、「女は男をたてるもの」「女は家を切り盛りするもの」そんな考えだったことだろう。
作中、序盤では夫トルワルは若く美しい妻ノラを「可愛いヒバリちゃん」と呼び可愛がり、ノラは愛らしく夫におねだりをする。端から見れば、なんと仲睦まじい夫婦か、と心温まるような、逆に憎らしい――リア充末永く爆発しろ!と言いたくなるようなやりとりが続く。
しかし、読み進めるにつれて少しずつ、「アレッ?」となる。
ノラにある困難がふりかかり、終盤では「アレッ?」どころの違和感ではなくなってくる……。
そして、これは現代日本にもよく見られることなのでは……と戦慄する。
この本を、面白くなく感じる人もいるだろう。ノラに憤慨する人や、ノラを「馬鹿な女」だと感じる人もいるだろう。そういう人たちは、今もなお、女性を不当に扱っている・扱われている人たちで、それが当然、それが自然だと思っている。そのことになんの疑問も感じず、立ち上がる女性たちを抑圧し続けるのだろう……。
女性は人間だ。
幼女という生き物、少女という生き物でもなければ、JKという生き物でもなく、妻という生き物、母という生き物ですらない。
この本を読んで生まれた憤りが、様々な人に共有されることを祈りたい。